竹友社について

出典 :三世 川瀬順輔「伝統の韻」NHKカセット三曲編より「竹友社について」
 元独協大学教授・東京芸術大学講師 故平野健次氏 解説文から抜粋

竹友社は現在、川瀬順輔師が主宰される尺八の団体である。といってしまうと現在数多く存在する団体のひとつにしか過ぎないような印象を受けるが、実は竹友社の始源は明治二十七年、初代川瀬順輔師の時代に遡る。
実に今年で百七年を迎える。伝統のある尺八団体である。
初代川瀬順輔師は今の山形県、羽前水野藩の士族川瀬賢造の長男として明治三年十月十日に生まれた。十七歳の時、虚無僧の門付けに感激して入門したが、その虚無僧が榊原三虚山という人であった。
しかし、この虚無僧は飄然と旅に出てしまったので、二十一歳の時に上京して二代荒木古童(竹翁)から二曲ほど習得して帰郷したが、尺八家として身をたてんとする意志やみがたく、ついに明治二十六年に再び東京に出た。
東京音楽学校教授であった上原六四郎(荒木竹翁門下の尺八家で虚洞と号した)の知遇を得、荒木竹翁につくとともに上原師にも師事した。
明治二十七年、ようやく門下生に教授できるようになった。
この時が竹友社の黎明であったといえる。以後、上原師とともに尺八の普及活動を始め、明治三十三年虚無僧として全国を行脚、明治三十五年東京に道場を構え、明治三十七年より、上原師から学んだ点符式楽譜を基とする新たな楽譜を刊行するに至った。これより門下の竹友社の組織も確固たるものとなった。
のちに竹盟社を興した山口四郎師や鈴慕会を興した青木鈴慕師なども、この初代川瀬の門から出た。また、同年、九州地歌三絃の名手中山里子と結婚し、以後夫婦揃って、東京の三曲界のために尽くすことになる。
かくて、竹友社は、琴古流尺八の団体としては最大の組織となったのである。
この初代は昭和三十四年三月二十七日に没したが、女婿悌二が昭和十二年に家督相続して竹友社主となっており、昭和三十五年には順輔を襲名、やはり日本三曲協会や琴古流尺八協会の役員を勤めて、その発展に寄与したが、昭和五十二年十一月三十日に没した。
現在では二代の三男忠輔が三代順輔をついで、竹友社宗家となって一門を統率している。