初代川瀬順輔翁略伝

●明治三年閏十月十日
旧水野藩士、川瀬賢造の長男として山形市香澄町十日町に生る。
幼にして孤、外祖父に養はれ、厳格なる武士的教養を受く。

●明治十八年(十六才)
山形県庁に勤務し、其の傍ら漢籍を学ぶ。

●明治二十年(十八才
支那の亡命志士如晏波に就き書道を学ぶ。
その頃、仙台の人性恬淡無欲にして、四五十年来虚無僧道を行ぜし榊原三虚山(俗名道之助)なる者の尺八を聴き、懇望の末遂に其の教えを受く。

●明治二十四年(二十二才)
荒木竹翁の名声を慕い、上京して其の門に入る。幾ばくもなくして一旦帰郷す。

●明治二十六年(二十四才)
三月二十日再び出京、横田家に寄寓しつつ竹翁の下に通う。
此の時、元代議士、上州富岡在高瀬付の医師斎藤寿雄の知遇と援助を得る事となる。
斎藤医師の紹介により、音楽学校教授上原虚洞(六四郎)に就て尺八本曲の全部と外曲数曲及び音楽理論を学ぶ。
次で合奏の必要を感じ山勢松韻、山登万和の二師に通う。
上原虚洞が明治十七年頃より創始せし琴古流譜点法を三ケ年を費して之を会得す。

●明治三十年(二十八才)
三月、自分の芸風が奥州流に偏せる事と芸道に就ての疑義を生じ、他流をも知り度き念願から、音楽の淵源を極めんため関西旅行を企て、琴曲の大家古川竜斎、松坂検校を訪い、旧知、上原の同門樋口孝道と親交を深くす。
四ケ月を費して帰京す。越後の人佐藤左久遇々出京せしにより、之を麹町三番町に住はせ、芸道、作譜に就き研鑽す。

●明治三十三年(三十一才)
十月十目誕生日を期とし、西日本旅行に出発、京都、神戸、厳島を経、下関に日本楽律論の提唱者瓜生寅翁を訪うて音楽取調所設置の話を聞く。
次で山下貞幹と其に博多一朝軒貫主磯一蝶方に滞在し琴古流を説いた。
爰にて明暗会員となり、虚無僧として出発、佐賀の紳商、明暗流の飯森一太郎方に滞在、演奏会、宴会に列なり、虚無僧の経歴ある関知事の知遇を得

●明治三十四年(三十二才)
 三月中旬佐賀を発し、川瀬祖先の地、唐津に昔を偲び、伊万里に須藤玄窓、松尾月雫、其他の同士と交友を加う。
佐世保にて横尾市隠に会す。大村を経て長崎に村田保寿、生田沢吉住深山等と会合交友す。
黄檗宗皓台寺の禅僧霖玉仙師より」是伺者ぞ」の公案を授けらる。
四月下旬熊本に向い、松橋の人中山サト(後の里子夫人)と数々合奏す。
宇土に其の母親の実家岡崎家を訪う。
六月一目、始めて虚無僧となって八代に向い、笹尾竹之都と交友合奏す。
日奈久、佐敷を経、爰に同行、荒木、池田の外に白瀬を加えて一行四人、人吉に向う。
勧財、青井神社に献笛、珠磨州を下り、白石、三太郎越、米の津、阿久根を経て鹿児島に入る。
元学習院筆曲教師高野茂の隠宅を訪れ、城山の麗なる廃屋に自炊す。
加藤好照医学士の園遊会にて秋元隆次郎医学士に再会、大門口南陽館にて演奏会を催しなどして九州周遊を終る。
続いて琉球に渡り其の音楽を研究す。
琉球の帰途四国に廻り、旧交新交を加え満三ケ年を費して西日本の旅程を終えて東京に帰る。

●明治三十六年(三十四才)
上原式附点法に依り、本調子、二上り、三下りの黒髪、鶴の声、袖香炉の楽譜を一部として青写真に撮り、門人其他に配布す。
之れ日本に於ける附点法楽譜公刊の初めである。
この主なる助言者は文部留学生として独逸で音響楽と電磁気学を究め純正調を確立した田中正平博士である。
中山里子と結婚す。

●明治四十一年(三十九才)
  荒木竹翁遺稿、上原虚洞附点法尺八譜、其他尺八譜の出版に関し荒木真之助、上原六四郎、川順順輔三名にて協同出版を契約す。

●大正二年(四十四才)
川瀬順輔を盟主とし、門下及共鳴者を以て琴古流川瀬派を創設す。

●大正三年(四十五才)
宇池普化塚重修特別会員となる。
上原虚洞の逝去を機とし、三家協同楽譜出版を取止め各自好める楽譜を自由に出版す。
七月川瀬派機関詰「竹友」を創刊す。

●大正六年(四十八才) 
門入千鳥会々長横山正男満鉄ヤマトホテル支記入在職中高鮮演奏旅行をなす。
帰途韓国京城の宮城道雄の東京移住を慫慂す。

●大正六年(四十八才)
  四月川瀬派の称を廃し、平等的自治団を組織し社名を竹友社とし、出版事業の発行権を社団に委ね、門下と利益を共にす。

●大正七年(四十九才)
九月、大正五年より「竹友」誌に連載された栗原広大著「尺八史考」初版を竹友社より発行す。
九月、「竹友」主幹藤田鈴朗と一派との議合はず「竹友」誌を廃刊す。

●大正八年(五十才)
四月十一、十三日上野桜木町尺八講習会内尺八展覧会の顧問となり、重要資料を出品す。

●大正十年(五十二才)
五月「社団法人竹友社瓦壊事件顛末」を配布して解散し、社は名実共に川瀬個人のものに還元す。

●大正十一年(五十三才)
月新しく「竹友」誌第一号を発刊す。

●大正十二年(五十四才) 
流祖琴古先生建碑会発起人となりたるも関東大震災により一切解消す。

●大正十四年(五十六才)
春、妻里子を伴い再び満鮮演奏旅行をなす。

●昭和五年(六十一才)
  四月五日、天狗会主催にて還暦祝賀演奏会を催をす。次で十月十日竹友会主催の祝賀会あり。続いて各地に於て之を催をす。

●昭和七年(六十三才)
川順順輔及中塚竹禅入洛を期とし京都竹友会設立、次で各地に続続琴古会の設立あり。

●昭和九年(六十五才)
一月、四谷伊賀町祥山寺に琴古流々祖黒沢琴古門前碑建立の施主となる。
九月支那旅行を企つ。

●昭和十年(六十六才)
八月、野村景久慰霊法要を主催す。

●昭和十二年(六十八才)
六十才以上の竹人「翁友会」を竹友社に於て開催す。

●昭和十四年(七十才)
東京尺八聯合会創立の会長となる。

●昭和十五年(七十一才)
六月、大日本三曲協会発会の副会長となる。

●昭和十八年(七十七才)
  代田橋川瀬順一宅へ移転。

●昭和二十年(七十六才)
三月末、岩手県遠野草刈宅(甥)へ疎開す。九月初旬、右手県一戸市川瀬順一疎開先へ移る。同年十一月、更に山形市海野三朗氏方に移転す。

●昭和二十一年(七十七才)
十一月東京都新宿区三栄町川瀬悌二方に帰京す。

●昭和二十一年(七十九才)
五月、横山正男の義弟浜部を伴い名古屋伊勢周遊旅行を行い知門人を訪問す。
八月、信州旅行をなす。

●昭和二十四年(八十才)
十月、多治見、名古屋旅行をなす。

●昭和二十五年(八十一才)
四月「竹友回顧録」を発行す。五月、北九州旅行をなす。八月、北海道周遊旅行をなす。十二月「竹友回顧録」第二版を発行す。

●昭和二十六年(八十二才)
三月、九州、山陰、北陸周遊旅行をなす。九月、東北旅行をなす。

●昭和廿七年(八十三才)
  五月、関門旅行をなす。
此の頃より歩行稍困難の為め竹友社に在って読書、思索、書道に日々を送る。

●昭和三十二年(八十八才)
三月、妻里子(八十五才)と共に米寿祝賀会を三井倶楽部に催す。
八月十五日、妻里子逝去す。

●昭和三十四年(九十才)
三月廿七目午前五時十分永眠す。


以上の略伝年譜は主として「竹友回顧録」及び中塚竹禅手記「尺八年表」に因って編纂致しました。

ホームページ製作担当者より
この竹友翁略伝は、昭和35年3月27日 日比谷第一生命ホールに於ける「竹友翁追悼」に掲載されたものです。

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