木下知事と論戦床次参事官の仲裁


琴曲との合奏までは無難であったが、それが済むと木下知事は突然「君、長唄を一曲吹いて欲しい」と云ふことであった。此言葉を聞いて自分は憤った。と云ふものは長唄や端唄などを吹くことは物貰ひや法界屋の吹く曲で、上手下手は兎に角、苟も堂々たる正系な尺八を吹く者に、長唄などを所望すると云ふことは非常な侮辱である。非常な侮蔑を被ったやうな感じがしたのである。それは全く自分の見識の狭い偏見ではあるが、其の当時師匠から聞いて居る話を丸呑みに斯く信じて、直情径行の時代であったから、先方の身分も自分の身分も顧みる余裕がなく、たゞ一図に侮辱を受けたとのみ感じたので、語気を改め満面朱を濺いで答へて言ふには「私は正系の尺八を学んで居るものであるから、長唄の如き淫靡にして下等なる曲などは吹奏は出来ませぬ」と断乎答へた。
氏も酒気を帯びて居られたし、叉同氏は有名な議論家であつたさうだから、その語気も鋭く「長唄は何処が淫靡だ。何処が下等だ。若し長唄を淫頗であるとするならば、琴唄にも淫靡はある。何を以て淫靡と云ふ。其の説明を聞かう」と居丈高になつて詰問された。
で、自分は「僕は文句其の物を以て淫靡を云々するものではない。文句は音楽の衣飾見た様なもので、音楽の雅俗の生命は節に在るのである。節は其の人々の感じで判断するものであるから、何が故に俗だ淫靡だと云ふ説明を加へることは出来ぬ。それは各人の感じである。賓下は何様あらうとも僕は飽くまで長唄は俗でない、淫靡でないと云ふことを否定するし、世間多くの楽人は長唄を高尚なものだと云ふ者は一人もない。
貴下が長唄は高尚なものだと言はれるのは、貴下の感じがさうであるのだからして致し方がない」と憚るところもなく答へた。
すると木下知事は、西洋の実例や音楽に就いて、該博な知識をもって居らるゝ事とて、色々実例や何かを挙げて、激烈に反駁された。自分も敗けては面目を失ふと云ふところから躍起となつて論戦した。紹介者の某氏などは頻りに気を揉んで後から羽織や衣類を引っ張って、もう止せと云ふ暗示をして呉れたけれども、一旦口外した事は一歩も後には退かぬと云ふ例の敗けず気性で譲らなかつた。
遂に双方とも立ちすくみの姿で互ひに退くに退かれぬはめとなった。夫人なども余ほど気を揉んで居られる様子、叉一座の客も一方ならす気を揉んで居られた様に見受けた。
然る処、参事官の床次竹二郎氏も座客の中に在って頻りに聞いて居られたが、やがて口を開いて、双方負けにもならす勝にもならぬ引、風の説を持ち出されて、双方其の主義を枉げすに手を引く機会を得た。床次氏の仲裁説は何んと云ふ辞であったか記憶していないが、余ほど巧妙な仲裁振りであつた様に記憶して居る。自分も議論を正すに快く止すことが出来たから何れ巧妙な忠言であづたと思はれる。帰宅後仲介者から木下知事の事を聞いて見ると、非常に長唄をよく唄はれるし、叉仏蘭西仕込みで音楽知識は該博であると云ふことであつた。自分はまだ其の頃は二十七才位の時分であつて活気に逸って、思慮分別が乏しかつたから、浅識や偏見を願みず議論もしたが、今日では洵に気恥かしく思うて居る。
それから、ずっと後ちのことであるが、数年前東京偕行社に於いて通俗教育会の総会があった際、久し振りで床次氏(常時内務次官)に面会して、山形に於ける当年の話をしたところが、「やッ、知つてゐるよ」と言って哄笑一番された。
因みに、長尾半兵氏も当時山形県の技師で、木下知事の宴会に一座して居られたかと記憶して居る。二十歳代の頃は直情径行、折々斯かる失敗をしたことがあった。斯くて、故郷の知人等の歓迎に感奮して、尚一層の研鑽を積んで、彼岸に達しなければならねと云ふことを、堅く堅く心に誓ってて帰京したのであった。

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