箱根、沼津、静岡周遊紀行


明治二十九年の夏であつたと記憶して居るが、暑を避くる為に黒川誠一郎氏と同伴して、箱根の蘆ノ湖に遊んだことがある。
同氏と旅舎で朝に晩に尺八を吹奏する處から向ひの旅舎に来て居つた阪井久良岐君が訪問された。
阪井君とは上京以来の知己で頗る奇才に富んで居られ、益友として平素交はり厚き人である。
互ひに不意の邂逅を喜んで之を機會に箱根の舊道を通つて、三島を経て沼津の友人のもとに遊びに往かうと云ふ相談が成立つた。
其處で蘆ノ湖に一週間ほど滞在の後ち、黒川氏と袂を分って、阪井君と此處を立ち去る際に、途中で雨に逢ふと困ると云ふ處から、赤毛布を一枚借り込んで、それを竿の頭に旗のやうに付けて、阪井君がそれを担うて、高声に軍歌た唄ひながら舊道に向った。
浴客連からはやんやの喝采を博したのであった。
往くいく湖水の清風に吹かれ、其の奇勝絶景を賞し、関東の大関門として数百年の通路たる箱根街道の昔を偲びつつやがて三島神社に詣で沼津に出て、我入道の友入のもとに著したのであった。
此處で二、三日を海水浴等に面白可笑しく送つたがそれも厭きが来た。
不圖阪井君の友人が興津に来てゐることを思ひ出して、其の友人を訪問しよりと云ふことになつて、僅かの旅費を持って興津に向つた。
興津で友人を訪れた後ち、自分は嚢中も淋しいから沼津に引返へそうぢやないかと相談したが、無頼著の阪井君はなかく承知しない。
此處まで踏み込んだことだから、尚進んで静岡まで往かうぢやないかと云ふ無鉄砲な案を提出した。
落々磊々たる君の胸中には、旅費が足ろうが足るまいが、そんな事に一向お構ひない。僕も衷心危ぶみながらつい釣り込まれて賛成して了つた。
そこで興津の友人のもとから、葡萄酒一瓶を貰ひ受けて、其の瓶を片手に下げて静岡に著いた。
先づ目指す浅間神社に参拝しそれより諸所見物の末、二丁町の遊廓に素見と出掛けた。途中で草履の鼻緒が切れて、片手に草履を下げ、片手に葡萄酒の瓶を下げて、處々で葡萄酒の喇叭飲みをしながら歩いた。
其の風体の異様にして滑稽なる話にならず。
やがて腹は北山になった。處で晩飯を正式に貪はんとすれば、宿賃に欠乏を来すのみならず汽車賃にも不足を生ずる。
えゝ儘よどうなるだらうと多寡を括つて、空腹と疲労を忍びながら停車場附近の旅舎に辿り著いた。
素より片旅籠のことであるから夕飯は出る訳がなし、おまけに部屋は悪し、布団もお粗末、女中も冷淡だ。
搗て加へて空腹は時々刻々に迫り来り、腹はぐうぐうと云ふ奇声を発して貪物の催促頻々たる有様だが、何んと詮方なく泣くにも泣かれず、両人目を見合せて唯吐息をつくのみである。
斯くてあるべきにあらねば此苦難を逃がれるには寝に就くの外なしと横になつたが、蚤に攻められて眠ることが出来ない。
余儀なく懐中に在つ新聞紙を下敷にして蚤の襲撃を防ぎつつ、うつらうつらとして、天明を待った苦しみは今思ひ出しても楽ではなかった。
沼津までは無事に婦つたが、最早二人の嚢中は無一物である。
やがて我入道の友人の許に帰著し、此處で阪井君と袂を分つことゝなりた。

竹友社MENU

竹友社案内

〒160-0008
東京都新宿区三栄町三
TEL:03-3341-5755
e-mail:jimu@chikuyusha.jp