神と運命の支配免疫性の煩悶苦脳


自分は青年時代より否性来から悶煩の多い方で、三十歳前後は殊更峻烈を極はめた様に考へられる。夫れは而立と云ふ峠を一つ越えるからであらう。胃は絶えず痛み、手足は冷え、安眠が出来ず昼中は概して頭が重く、元気は内部にのみ沈み潜みて憂愁言はん方ない。笑ふことなど殆どない。無駄口なども余り言はない。
他人から観ると、敦厚とか厳格とかに見えたか知れぬが實の處さうでない。天眞が内部の熱と外部の冷との戦ひに圧迫閉鎖せられてゐたのである。
天眞に振舞ふだけの勇気がなかつたのである。他人の天眞爛漫が軽薄に感ぜられた。世間並の世辞などは虚偽に感ぜられて腹立たしく唾棄したものだ。
自棄者の域に最早入つてゐたのである。
機に触れ稀には世間並に溶解された。天眞に振舞ふことがある。さうすると平素の反動として方圖がない、止め度がない、常軌を逸して了ふ。
夫れはほんの一時の發作で、叉もとの憂鬱に婦して了ふ。彌生め花に酔うて居る人などを見るとどうしても其の心理状態が解らない。果ては腹立たしくなりて憤慨する。其の心理の辿りは自分に解からない位ゆゑ他人に解かる筈はない。
ただ自分と同じ病的心理を経た人には首肯し得らるゝであらう。田舎からぽつと出の青年が晴の場所たる公會などで演奏する様になり、其の都度公衆から拍手と喝采とを以て迎へ送らるゝから堪らない。
虚栄の血は湧きに湧き撚えに燃え、運命の神は自分にむかつて進め、喜べ、驕れ、慢じろと云ふ信號を暗示されるのであった。平素の憂鬱は暫しの間、晴れ渡るが深更萬籟寂に帰し、獨り机に對して端座思索に耽るときは、其の反對の感が湧然と起るを常とした。
自分の藝は始終不安に始まり不安に終はるのである。然らば一般公衆が拍手を以て迎へ、喝采を以て坦る處の賞讃の辞は虚偽ににあらざれば一片の諛辞に過ぎない。
悪く言へば公衆は聾者である。自分自身の心に充たざる藝が他人の心に充つベき道理がない。公衆に批判の鑑識がないのである。批判の鑑識なき公衆に喜ばるゝを以て満足して居るなどは愚の極みである。
これ恰も修理を施さゞる船に乗って、仮りに安心を得て航行し居るが如き名のと同様で、片端より水が浸入しつゝあるものだ。眞正の安心なるものは他の如何に拘はらず、自分自心の安心が第一で、第二に他人の讃辞を得てこそ初めて安心が出来るものである。斯く世間に著しては喜び、世間と離れては悲しみ、悶え、只管運命の神の示し賜ふ處に疑團を抱くのみであった。
其の当時は其の謎を怨み悶えに悶えて、其の結果絶對の支配者たる神などと云ふものは、寧ろ無きものではないかとまで擬ひ出した。執れかと言へば自分は有神を信する方であつたが、あまりに謎に弄ばるゝと、往々無神論者になる時があった。
世俗に其の思想の上に表はれたのを名づけて自棄などと云ふのは此事なのである。日々に門人も殖え、世間の賞揚をも受けながら一面には喜び、他面には悲しみ、人生を朝露の如く、浮雲の如く感じ、二六時中不安の念に駆られ、悶々の情に堪へず、快々として面白からぬ月日を送るのであつた。八釜しい言葉で云へば、是が人生問題の疑団とでも言ふのであらう。
次いで又藝の帰趨に就いても、ますます複雑に、ますます擬團の重なるのみで、解決などは思ひも寄らない。斯くする間に不図考へたのは、畢竟するに藝は人生と離れて獨立したものではない。人生の疑團を氷解せづして語道の帰趨を解決せんとするも不可能である。
藝道の帰趨を解決せんとせば、先づ人生の疑團氷解に全力を傾注せねばならぬ。本来を言へば人生即ち藝道藝道即ち人生なのであると云ふ事に気がついた。茲に於て耶蘇の説教、他力自力の説法、儒教、道教、果ては欧羅巴の新思潮などをも少しは囓つて見たが、迚もとても咀嚼するどころか、精神的胃の腑に種々雑多なものが停滞して、ますます精神的に胸苦しくなるのみであると云ふものは、畢竟自身に精紳的に消化するだけの力がないからである。
儒教にしても書籍と首引をしてゐるうちだけは儒教の崇厳や温情に心は溶け入るばかり感心するが、一且書籍を蔽うて實世間に接ずる場合には何んの役にも立たぬ。矛盾と云ふ苦艱を覚ゆるのみである。
夫れは単に儒教のみではない。他力の教へなどは無論の事、自力の教へなどは消化する力がないから堪らない。舶来の思潮などは一層自暴気味に誘ふのみで、一向自分の要求する處の大安心とば没交渉である。今日より思へば、何れの教へも金科玉條でかつて、其の一語一句を消化し得てさへ、人生は救はるゝに足るだけの価値のあるものであるが、其の当時精紳的消化力のない自分に取っでは、何れの教へも自分を害するのみで少しも益がない。
其の当時の精神状態を今より批判すれば無形の刄を以て己の咽喉に擬しつつあったので、實に間髪を容れざる危機の場合であつたのである。
斯くの如き精神状態であったから、其の煩悶懊悩に堪へずして、深更決然床を蹴って、一管の尺八を懐中にし、何處ともなく家を飛び出して暁天に達するまで、諸所を彷徨する癖があった。
三伏の大暑も過ぎた或日の事であつた。例の如く一管の尺八を懐中にして、日頃の煩悶懊悩の苦艱を逃がれんものと、飄然として家を出で、上野辺に出掛けた。
其の時不図自分の懐中に、当月に仕払ふべき金のあるに気がつき、前後の分別もなく上野の停車場に飛び込んだ。
たまたま友人の久良岐君が大宮に夫妻同行避暑に往つてゐることを思ひ浮べ、何用ともつかず旅行して見ようかと云ふ気になつた。
そこで端書一葉に、鉛筆の走り書きで、四、五日留守にすると云ふことを、留守居の者に言ひ置いて大宮に向つて出發した。
やがて大宮公園の某旅館に宿泊してねる久良岐君を訪問した處が、「つい先ほど御立ちになりました」とのこと、なみなみたらんには落胆して引返へすべき筈のところ、思慮分別を失つた自分はまだ吾家に還へる心になれない。
再転して妙義山に遊んで見ようと云ふ念むらむらと浮ぶがまゝに踵を妙義山の方向に向けた。處が其の目は大正天皇が東宮でおはします頃の事で、妙義山に初めて御避暑の行啓あらせられた折であつたので、妙義の市街は言ふに及ばす近郷近在夥しき人出で、当日は衆庶の登山を許されぬと云ふ事を聞いて、山に差しかゝつた自分は、階下に佇立して、登山を禁すると云ふ掲示文を仰いで、茫然自失之を久ふした。
かくてあるべきにあられば、已むなく道を富岡方面に採って富岡在高瀬の斎藤先生を訪問することにした。此時若しも東宮殿下の行啓がなく、無事に登山が出来たなちば天下の奇勝たる妙義の山霊に打たれ、或は巌頭の辞を遺さぬとも限らなかつたであらうと今尚悚然たるものがある。
登山の出来なかつたのは勿気の幸ひで是ぞ運命の慈愛の御手曳きであつたかも知れない。即ち運命の神の青赤の旗を使ひ別けらるゝ慈悲であらう。
斎藤先生の御住居までは、夫れより三、四里に過ぎなかつたと記憶する。時は盛夏の候ではあるが、人里離れし田合道のことゝて、蕭殺たる秋の候かと疑はれ、草葉にすだく虫の声々はいとど物哀れに、犇々と身近に浸み渡るのである。之を聞くともつかず聞かぬともつかず、只管冥想に耽りつゝ夢路をる辿る思ひにて歩みを運んだ。当時の想ひを豊富なる思藻を有する詩人をして叙述せしめたらんには、定めし一篇の哀詩が出来上るであらう。
就中蜩の啼く昔が最も自分の感じを動かしたのであつた。一体虫と云ふものは喜んで啼くのであらうか、悲しんで啼くのであらうか、餓して啼くのであらうか、悲しんで啼くのであらうか、餓して啼くのであらうか用辨を達すが為めに啼くのであらうか、将又自らの為めに啼くのであらうか。
翻って思ふ。自分が尺八を吹くのは他の為めに吹くのであらうか、自の為めに吹くのであらうか、苦しんで吹くのか楽しんで吹くのか分らない。若し他の為めに吹くとすれば自分の満足如何は問ふに及ばぬ。若し自らの為めに吹くなれば他の褒貶は不関焉であらねばならない。
又食ふが為めに此道を業とするとせば、自分が楽しむと云ふことは如何にも慾張り千萬の話である。自分の楽しみの為めに斯道に従事するとすれば、夫れに依りて美衣美食に厭き、子孫の為めに美田を買ふなどと云ふ慾は言語道断沙汰の限りと謂はねばならぬことに帰結する。
冥想は夫れから夫れと、乱麻の如く縺れに縺れて果てしもなく、かくて夕陽西山に臼掲き、往来の人も杜絶えし夜道を愁々たる虫の音に冥想を唆られてあたかも慈父に均しき斎藤先生の御宅に辿り著いたのは忘れもせぬ夜の九時過ぐる頃であつた。
斎藤先生の御宅に著いて先生にお目にかゝった處が、「今頃どうして何處から来たか」と云ふ御尋ねを受け自分は是だと云って筋を立てゝお答へすることが出来なかった。勿論苦悶の余り飄然家出をして、懊悩と迷想とがつい五、六十里の旅をせしめたのであるから用向きのあらう筈もなく、況んや遊山と云ふが如き暢気な沙汰ではない。
既に家を出た時から夢路を辿ってりるので、筋の立りお答への出来やう筈がない。為めに先生も奥さんも頗る怪訝な面地であつたが、冥想の夢路を彷徨うて居る自分には、先方の怪誇な様子などは一向感知しなかりた。先生御夫婦から「幾日ほど遊んでゆく積りか」と云ふ御問ひもあったが幾日と云ふ極まりが無論あらう筈がない。
今晩直ちに帰途中についても宜いし、三、四日滞在しても敢へて差支へはないので、何れにしても如何にかして自分の懊悩と冥想の醒めんことを本能的に要求するのみであった。
畢竟先生を御訪ねするに至ったのも、別に是ぞと云ふ考へがあったのでもなく、唯自分の懊悩冥想と云ふ心に間隙を生じて、心の底に何んとも得知れぬ淋しみを感じた余り、斯かる時に慈愛の権化とも謂ふべき先生に接したならば其の淋しみを幾分減ずることが出来やうかと云ふ意味が、先生を御訪ねするに至ったのであらう。自分が意識し考慮して御訪ねする動機をとっだのでは無論ないのである。
恰も心に間隙ある者とか厄難に遭遇した者が、無意味に神仏に向つて礼拝などをするのも、斯くの如き精神的本能かと思はれる。
四方山の話の後ち、先生御夫婦から「近頃君の境遇はどうか、藝はどうか」など、何呉れとなく親切に間はれても、一向気乗りもせずたゞ「御報告するぷ足るだけのものは何もありませぬ」と云ふ一點張りで御答へして居った。
然るに先生は頻りに自分の心の俘かばざる様子に注意される模様であったが、更に「近頃君の評判も時々諸處で聞いたり新聞で観たりするが、大分藝も進み位置も出来だのではないか」など慰安の辞を色々添へられたけれども自分は夫れが一向嬉しくも何んともなかった。
たゞ恩人に對して申訳のないやうな気分に閉ぢられて「何時かは御報告するまでになりたいものです」と云ふやうな浮かばぬ御答へのみをして居つた。
夫れを見て取られた先生御夫婦は「疲れてゐる様子だから寝むが宜からう」と言はれ、是を機に終日の疲れを医すべく寝床に入ったものゝ、世間の鎮まるにつれて思ひは千々に乱れゆくのみである。
搗て加へて愁々と啼く虫の音や、喝々と啼く蛙の声、さては時計のセコンドの優々と刻む音などが懊悩に疲れた心を刺激して、何んとしても眠られない。冥想は茲に再び妙義街道の淋しき山路を辿った冥想と縺れ合って一つの問題を描き出す。
昔周の文王が獄舎に雀の鳴き声を判じて己れの運命を知ったと云ふ故事などを懐ひ出し、自分も虫の音を聞いて喜ぶのか悲しむのか、将又何を語りつゝあるかの判断は出来ぬものであらうか。
世の昆虫學者などは其の種属や種類や繁殖や、滅亡等は研究されて居るであらうが恐らくは虫の心を語る符號は研究されてあるまい。
周の文王の如きは虫と同化して、雀の鳴き声を判断されたのであらう。自分も虫と同化して其の啼く音の意味を感知することは出来ぬものであらうか。
など心は夫れから夫れと紛糾錯綜して、恰も夏雲の湧くが如く漠々として果てしも附かす、身体の疲労に引換へて心はますます冴え往くのみであったが夜は何時しか明けて、「かゝあおきよ、ごんべおきよ」の勇ましき鴉の声と、ちろちろと囀づる雀の声に、はっとばかりに驚いて我にかへるや、冥想の雲霧消散すると同時に、心の緩みを覚えて何時とも知らす華胥に遊んだのであった。
やがて目覚めし頃は雨戸は明け放たれ、医家のこととて外来患者の話声や、薬局の忙はしき有様が手に取る如く聞えるので、這は失敗ったりと跳ね起き、茶の間に往って見ると、時計は早や十時を示してゐる。
家人の朝飯は最早四時間前に了はって居るので、間の悪き思ひをして茶の間に踞つてそこそこに食事を済ませた。
例に依って斎藤先生の前で、煙草を喫むことは、良心が咎めて出来ぬゆゑ、飄然と裏庭に出で、土蔵の蔭に潜んで巻煙草一服に預った。
辺りを見ると離家の裏手は懸崖であって、清浄珠の如き清水が滾々として流れてみる。瞼を放って西北の天を望めば、火山岩の奇秀を極尽せる妙義山は嶺然として雲表に聳え、遙かに望めば、中仙道第一の天険と称せらるゝ碓氷の峻嶺あり、此方には浅間の濃煙天を衝いて昇るあり、東北方を展望すれば、榛名、赤城の諸山々連亘し、晴嵐気涼しく、翠微直ちに来って限前に迫る、此壮観と雄大の勝景や、近隣に聞ゆる鶏犬の声や、厩に噺く廃馬(前に話した自分と同年の馬)の声が靄然たる平和の気満ちみちて閑雅幽静形容の辞がない。
此勝景と平和の気に包囲されし自分は翻然として冥想より醒め来ると同時に、躬はあたかも仙境に遊ぶが如き快感を覚え気も心もすがすがしくなった。
気分も大分調子づいて来たので廃馬を曳き出して其の背に跨り、喫煙を壇にしつゝ鎮守の杜や畦道やらを何んの考ふる處もなく、何んの求むる處もなく小學校時代の無邪気なる少年にかヘつて、半日を楽しく面白く遊び暮した。
かくて夕餉も済み十五、六人の大家族一團となって四方山の雑談に移った。
此中にうら若き一人の婦人があった。此婦人は斎藤先生の知合ひの娘で、養子を迎へて不縁となり、夫れや是やが原因で一時的の神経病に罹り今は先生の厄介となっているのであつた。
其の時奥さんから「川瀬さん何か一つ吹いて聽かせませぬか」と所望された。自分は別に吹く感興はなかったが不圖其の婦人に就て好奇心を起した。
夫れは神経病者に音楽を聽かせたならば如何なる影響があるかと云ふ疑問を抱いたのであった。そこで直様承諾をして試みこ賑やかな「松竹梅』の相の手を渾身の気をあつめて吹いた。
處が奇なる哉病人が唱歌をうたひ出した。続いて起つて舞踏の真似を姶めた。是は不思議と愈々気乗りがしてとうとう三段の末を吹き了はる頃には、病人はますます興に乗って本当の舞踏になった。
吹き了はると今度は病人から尚其の先どやって下さいと促がされた。茲に於て自分も愈々好奇心を深うした。
精神病者が音楽の影響を受けることは判ったが、尚一つ方面を変へて非常に沈んだ淋しい曲を吹いたならば、如何なる影響を与へるかと云ふ第二の疑問を起した。
そこで再び『雲井弄斎』を本曲風に淋しく唄「月とや、いろやれなう山の端に」の處より吹き初めた。
處が一、二分も経たぬ間に、今の今まで舞び狂って居った病人が、俄かに打ち萎れて曲の進むに連れて戯欷を始め唄「あすのわかれもあのごとく、おもひそめたよ、こきむらききの、袖はちしほのわがなみだ」邊りに吹き進んだ頃は、戯欷がますます甚だしくなったので、夫れに驚いて二歌目で止めた。
暫くすると、またもとに返へって茫然自失、けろり閑として居ると云ふ体裁であった。後ちに此事を攻楽會で田中博士に話した事があつた。其の時博士の言はるゝには、「夫れは精神病理として至極面白い材料だ」と云ふ事であつた。

この項続く

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