下關に向ふ (1) 

其の時分は、まだ山陽線が馬關まで開通して居らなかった。
三川尻と門司との間に山陽鐵道會社経営の連絡船があつたから、三田尻から乗船した。
途中瀬戸内海の風光を鑑賞したかったが、そんな贅沢はしてゐられぬ場合ゆゑ、只管前途を急いだ。
船中には洋食の準備がしてあるので、空腹に任せて鱈腹喰った。(銭入と相談レながら)處が七十何銭と云ふ勘定た取られ、餘す處十何銭と云ふ哀れな境涯となった。
是はまた縮尻つた。是ほどの高価ならば空腹を忍ぶべかりしものをと、悔いの八千度百干度繰返へしても追つ附かずただ徒らに舌打ちをするのみ。
かくて船は馬關に著いた。
馬闘には、豫ねて樋口氏より紹介を受けてゐる虚無僧の親分とも謂ふべき山下貞幹と云ふ人が居るので、此人の手蔓で、九州に於ける虚無僧の群に入るべく、先づ此地を訪れたわけである。
常時自分の携帯してゐる荷物は、前にも言ふた如く約八貫目ほどあって、東京出立以来別に増減もなく依然として居った。
尤も袷と綿入とを入れ替へた位に過ぎない。
右の荷物を持つて山下氏の寄寓する豊前田町上笹山の和田六兵衛と云ふ田地持の家まで住かればならぬ。
其處までは約一里餘りだと聞いたが、車などを雇うたら後にも先にも十幾銭の主は裸になっても追つ附かない。
日没の事ではあるし、人の眼に著かぬが勿怪の幸ひ、右の荷物を不格好に恰も子供を背負ふやうに背負って出掛けた處、暫く往くと疲れる。
今度は子供を抱へるやうに抱いて、暫く往くとまた疲れる。
市街の暗がりで幾度か休みながら、やうようの事で貸座敷などのある町に出た。
北處豊前田町だと聞いて、最早笹山も間近かなことゝ胸を撫で下ろし、横道を入って少しばかり登って聞くと直ぐ分った。
初めて訪づるゝ事ゆゑ主人はどんな人か、家の様子も皆目分らぬので、何んだか薄気味悪いやうな気かする。
其の時の事を想像すれば、恰度泥棒が人家を狙ひ寄るような恰好であつたらう。
恐々ながら訪れて山下氏良尋ねた處が、和田老夫婦を始め家人は怪訝な顔をして曖昧な返事をして一向要領を得ない。
左もあるべき筈だ。嘗て荷物などを持ったことのない自分が、死物狂ひで此處まで辛ふじて辿り著いたことでもあり、空腹もあり疲労もしてゐることゝて、定めレ険悪な相貌が現はれて居つたからであらう。
だんだん話をするに随って、先方でも餘ほど打ち解けたものと見えて、山下さんは四、五日前若松他方に勧財に出掛けられて今は留守である。
あの人の事ゆゑ何時歸ることやら判らないが、さう長い事もあるまいと云ふ漠然とした事であった。
之を聞いて自分は一方ならず落胆した。
さすがに初めて會うた人なり打ちっけに泊めて呉れとも言へず、さればと言うて二十幾銭では泊める處も恐らくあるまい。
のみならず一晩泊って尋ねる人に會へる見込みでもあれば格別、何時帰るかも分らないと云ふのだから途方に暮れ、兎やせん角やと思ひ惑うた。
此家の主人六兵衛老は、最初見たときは何んだか人相の悪い薄気味悪い老爺のやうに感じたが、だんだん話をするに連れて、自分の偏見なるをさとった。
・・・六兵衛老はじっと自分の容子た見てゐたが、さて曰ふやう「貴下を見るにつけて憶ひ出すは長男の事、一體此家には種々な虚無僧が来ては泊るのが例になってゐるので、長男も夫れ等の縁故から尺八を吹くやうになって、遂ひには自ら虚無僧の仲間に入り、九州も半ば勤財に歩いたが、不圖した病ひが因で亡くなった。
もう彼これ今月が一周忌になるので」と言ひさして、力と頼む愛児を喪った老夫婦は、悲しさ遺瀬なさの情に堪へ兼ねて、鼻つまらせつゝ身の不幸を喞つのであった。
自分も圖らず哀れな物語りを聞いて同情の念に堪へず覚えず瞼のうるおひを禁じ得なかった。
四方山の話の末、六兵衛老は「斯く言ふと不躾だが、貴下は東京の先生でゐらっしやるから、私共のやうな處にお宿をするも恐れ入るが、麦飯位で御辛棒が出米ればか世話しませう」とのこと、察するに、主人は自分が相当の旅費などを所持してゐることゝ推して、斯う言ふのであらう。
そこで自分は恥を忍んで、實は斯くかくの次第でと一通り旅行の趣意を話し、廣島に於ける顛末なども包み隠さず話した處が、老夫婦は大いに同情を寄せ「此山の上に堂守のゐない大師堂があるから暫時其處に泊られてはどうか。食事だけは粗末ながらお送りしませう」と忠実に言って呉れた。 
優曇華の花咲き出づる心地とは、斯かる時を謂ふのであらうと老夫婦の親切を喜んで、是非さう願ひたいと頼んだ。
老夫婦は小さいランプに火鉢一個と布団二枚を持つて、いざとて案内して呉れた。後について一段小高い丘に登ると、一の大師堂かおる。
時は一月十目の事とて、玄界灘から吹きつける寒風は肌をつんざくばかり、搗て加へて堂内に諸所に風の入る穴もあり障子さへ破れてゐる。如何に立派な普請の家でも人の住まぬ處は寒いものであるのに、掘つ立て小屋同様の大師堂の事ゆえ寒さは寒し、ぅら淋しさも亦一入であるので、容易に眠ることも出来なかつたが、何時か心身の疲労にうとうとと眠りに入ったのであつた。
翌日、日既に三竿に上った頃眠りを覚ますと、朝餉の麦飯沢庵漬が障子の内に運ばれてあつた。
粗食ではあるが、夜前初めて會ったばかりの身許も碌々分らぬ自分に、態々食事を運んで呉れるとは何んたる親切な事であらう。
殊に眼を覚まさせまじとそっと障子を開けて置いて往くとと云、厚き心盡しをしみじみ嬉しく有難く感じたのであった。此岡を降ると小川がある。
其の小川の氷の如き水で顔を洗ひ、老夫婦の心盡しの貴き粗食を喫したのであった。
 午後になると、妙な風體な、之ぞと言って定つた渡世もなささうな、気も心も緩み果てた、職業の敗残者とも謂ふべき男が「六兵衛さんから聞いて来たが、東京の先生は貴下ですか」と言うて入って来た。
来意を訊くと、「自分は以前、道具屋を渡世として居つたが、あまわ儲からぬので、近年虚無僧仲間に入って勤財してゐる者だが、お流儀を少しばかり積古を願ひたい」とのこと、孤独の淋しみを感じてゐる折柄とて、交友の温味を感じた。
そこで琴古流の竹風など微發的に高遠なる講義を始めたところ、猫に小判と同様、一向感服する様子も見えない。
實は解からんのであった『人を見て法を説け』と云ふ格言を忘れて居つたのに気がついた。
そこで方針を變へて、俗人にも文盲にも解かり易いやうに話なして、とうとう吾流儀に引入れて歸らせた。
夜の寒さと淋しさは前夜と同様であった。
翌日も同じ様に、寝てゐるうちに麦飯と沢庵漬が、障子の内に運ばれてあった。
小川の洗面また昨日の通りである。
其の日は何んとも解せぬ男が尋ねて来て、前者と同じやうに、「東京の先生ですか」とて稽古を頼みに来たので、道具屋の何さんの手加減で応接し、之もどうやら引入れることが出来た。
聞けば其の者は渡船を業とする者ださうな。
其の後斯様な人が此外にも二、三人来たやうに記憶する。
三日日の晩に、如何にも寒くて堪へられない。何か良法はあるまいかと思ったが、此上布団を餘計に掛けたいと云ふ事もさすがに言ひ難く、炬燵などは勿論望み得べくもない。
食事は麦飯沢庵以外には何もない。
渡船の男が餅を持って来て呉れた。其の時の旨さは飢ゑたる腹に龍肝鳳膽とも感じた。
虎の子の二十幾銭も湯銭、手拭、煙草等で使ひ果して了って、最早風呂に往けなくなったと云ふ哀れ果敢なき境涯と成り果てた。
斯く言ふと読者は不審の眉を寄せらるゝであらう。
前に述べた八貫目の荷物には粗服とは言ひながら、紋付、袴、著換へなど一通り持ってゐるので夫れを質草にすれば宿銭、小遣ひ位に事缺かぬだらうと言はれるであらう。
如何にも然りである。
自分は元来質屋なる営業の存在してゐることも知らんではない。
知ってはゐる。又質屋は融通機関たることも知ってはゐるが、質に入れるなどと云ふ事は、小説や何かで見たので、質にでも入れると云ふ事は、罪悪か、非常な恥辱であるかのやうに感じて居ったのである。
さう云ふ方面の知識はまるで十歳の子供にも劣るほど幼稚なのである。
之は嘘のやうで本当だ。今日の自分はまるで生れ代ったやうなものだ。
其の時分は、用事以外に饒舌ることは稀で、用事を言ふのでも半ばは飲み込んで了ふ位無口で、時に心安い気の知れ合うた者に対しては、随分軽口も吐き、打ち興する事もあるが、それもほんの二、三の人に止って、一般の人に対しては、墻壁も墻壁、鉄壁堅塁も啻ならざる底の偏屈な人間であった。
それ故に質を置くことなどはてんで気が著かなかつた。
自分に嚢中無一物となっても、虚無僧となって各地を遍歴することになれば、斯かる難儀も度々あるであらう。
身に一金の蓄へもなくして、あまねく九州の山河を跋渉する亦男児一世の快心事であると云ふ意気込みであったから、斯かる障碍も将に来るべき運命と観念して、其の後は暫く湯にも入らず手紙も出さなかった。
總じて人間と云ふものは窮すると思ひの外智慧の出るものである。
豫ねて六兵衛老から借り受けてゐる薬缶が一個あつた。
此薬缶に湯を沸騰させて、風呂敷で包んで暖炉の代用としたならば、寒さも幾分凌ぎ得るであらうと云ふ事に気が著いた。
然るに與へられた木炭は終日僅かに火の気を絶えさざる程度に止め置き、夜に入り何處かに焚き物はないかと不圖天井を見ると、天井板が一枚剥がれてあった。
何気なく踏台に乗って、無意識に手を差入れた處が何やら手に触れる物があるので抽き出して見ると、堂を建てるに使った木羽の残りが埋高く蔵してあった。
是だ神の授け賜ふところと火鉢に焚いた處が、薬缶は直ちに沸騰した。
其の薬缶を新聞紙に包み、其の上を腰巻やら色々の物で巻き付けて、暖炉として脚の方に差入れた處が、其の心地好さ言はん方もない。
そこで小さいランプを頼むに讀書を始めた。
それは何雑誌であったか記憶せぬが、小學校で一緒であった高山樗牛の論文であつた。
氏の名文は世既に定評のあることで、自分が事新らしく褒めるまでの事はない。
豊かなる思想と精練したる文章とに感胆すると共に、幼少の折同じ級の友であった事を憶ひ出し、自分の今の俘浪人なる境涯と対比して、感慨無量、涙襟をうるほすを禁じ得なかった。
感慨に疲れては夫れを読みゆく勇気も失せ、ランプを僅かに火を絶えさヾるまでに細めて、午前一時頃かとも覚ぼしき頃、寝に就いた。
稍々暫しうとうととしてゐると、夢かうつゝか一個の怪物が朧朧として枕邊に来たやうな気はひがした。
はつと驚いて頭を擡げて見ると、定かに夫れと見分かねど、一人の曲物か枕邊に立つてゐる。
さては曲物ッと跳ね起きやうとしたが、いや待て暫し、憖じ大声を出して誰何でもしようものなら、強盗であったら直ぐに斬られる。竊盗であつたら、愈々盗まうとする處を見定めて置いて、突然に襲ふも決して遅からじと思案し、じっと息を殺して細眼に其の詮術を見て居った。
幸ひ布団の傍に尺八を置いたゆゑ、曲者に知れぬやうに密つと蒲團の中に押し入れ、いざと言へば武器にする覺悟で居った。
すると右の曲者は、無言のまゝ稍々暫し突っ立って居つたが、暫くすると、かーと痰をランプに吐きかけた。
もう跳ね置きようかと幾度か膽を冷したが、此處ぞ沈著のしどころと尚も息を殺して居た。
すると曲物は尚も二、三回痰を吹きかけると、ランプは消えて、黒白も分かぬ眞の闇となった。
之は不思議、物取りならば燈火に用もあらう。
さればと言うて、此土地の人に怨みを受ける覺えはない。
今に刀でも技くかと、生きた空はなく、只管に気を引き締めて居った。
さうかうする間に曲者はすーツと本堂の方に立ち去る様子である。
足音は盗み足で、微かに耳に感知し得るに過ぎない。

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