九州路に入る虚無僧出立

八代に著いて修業者相應の宿に投じた。
すると笹尾竹之都氏と其の門人の成尾八重女がお訪ね下さったのは嬉しかった。
竹之都氏は長谷氏に次いでの名人であると云ふことは豫ねて聞き及んで居ったので、好き機會と感じて合奏を願ったり、話説を伺ったりして、後學に資するものがあった。
の時分は鮎で名高い球磨川の鮎漁季節であったので、一日見物がてら出掛けたりなどした。
同行の山下氏から「調度も出来たことだから此處で虚無僧見習を始めたらどうか」と勤められたが、何しろ臍の締切つて初めて餘處の門に立つことであるから、何んとはなしに氣遅れがして逡巡した。
焦り気味の山下氏は其の時某寺院に講中の寄合ひがあるから説教の間に尺八を吹いて呉れと云ふ依頼があったので、是幸ひと自分を促がし立てゝ虚無僧姿で三人打ち揃って出掛けた。
さて吹奏の段となると、何がさて初めて天蓋を冠って尺八を吹くことゝて、耳底に劇しく反響して見富がつかない。
おまけに気遅れのしたせいか、しどろもどろの體で引退った。
之が抑々虚無僧として吹いた最初の試みであった。
翌日山下氏と惜しき挟を別って、池田君と二人連れ虚無僧姿で、八代の町を離れて球磨川を渡ると一軒の茶店があった。
此處ぞ一つ吹きどころと、二人軒下に佇つて一曲を奏した。
まだ怖気の失せぬ自分は池田君に尾いて恐々ながら吹いて此處で一銭の奉謝に預った。
此處を過ぎて家あるごとに立ち停つて吹くに従って、坦ひ坦ひ度胸もつき天蓋の反響にも馴れ、八代の南二里を隔つる日奈久温泉に著いた。
日奈久温泉は逍かに天草の翠黛を烟波十里の彼方に望み、風光描くが如く浴舎此處彼處に散在してゐる。
(今日では別府と相對時する温泉場で浴舎も數十を算するさうだが、其の頃は微々たるものであつた。)此處に著いて、とある呉服店の軒下に佇つたところが、是非通って吹いて呉れと云ふので、奧へ通ると、其の家の嫁さんと娘が、筝を弾くから其の對手をして呉れと云ふことであった。
一、二曲合奏したところ、晝飯などを出して優遇して呉れた。
其の家を辭して午後四時頃まで市中を勤財して某旅館に落ち著いた。
勤財に經験ある池田君は、當日貰ひ得た金は何ほどあるか。
一つ試みにあて較べをしようと云ふことであつた。自分には全然見當がつかなかつたが、池田君は、「今日の宿賃位は確かに出る」と云ふことを豫言して勘定に取りかゝつた。
處が大部分は一厘の穴明き銭で、中に五厘銭あり、五銭白銅などもあつた。
合計四十幾銭と米幾ばくかであつた。
其の時の自分は、怖気半分吹いたのが斯かる収入を得たのだから測らずも非常な大金を儲け得たかの如き感じがした。
まだ馴れぬ為め、どうしても扇子に受取ることだけは出来なかった。
此豫想外の収入に晩餐の粗菜も珍味と感じたのであった。
此處の温泉は潮の満干の關係で、時に依ると、湯が潮水になりて了ふことがある。
概して夜の十時後は海水に變ずると云ふことを聞いたので、其の前に二、三回も入浴をして、晝の疲れを醫し寝に就いた。
處が眞夜中頃便所へ往くべく階下に降り、闇を辿りながら、多分此邊と戸を開いてうっかり進むと、豈圖らん其處は便所にあらずして湯壷であったので、あつと驚く間もあらばこそ、ざんぶとばかり海水に陥ち込んで了った。
之は失策ったりと這ひ上つたが、一帳羅の衣類はづぶ濡れになって丁ったので、池田君を起して、同君の加勢で、夜中衣類を乾しにかゝったなどの滑稽を演じたのは可笑しかったが、傍の見る眼も樂ではなかった。
翌朝船で日奈久を出發し、船中恙なく佐敷に著いた。
其の日は終日市街を勤財して木賃宿に泊った。
佐敷よりは西海を背にして山叉山の人吉に向った。
沿道稀にある民家の軒下に佇って勤財をしながら喘へぎ喘へぎ池田君の後について歩いた。
馴れぬ脚は疲れ、息は胸苦しく、想像に描いた面白味などは微塵もない。
間驛に一泊して、翌日の午後一勝地と云ふ村を過ぎ山深き谷川に架せる橋上に憩ひ、初夏の翠緑を心地よく眺めた。
二人は竹を右手に人圏を離れた道を落ち行く先は叉五郎ならぬ九州相良(人吉の舊地名)へと二、三町脚を巡め、不圖振りかへって見ると、今過ぎた橋の上を白衣の虚無僧が、此方へ向って手招きしながら小走りに走り来るのであった。
二人は天蓋を脱って不審の眉を顰めて暫く待ってゐた。
駈け付けた人は、呼吸の急迫と、心気の昂進にしばし言葉が出ない、自分は意外を通り越して夢ではないかと凝視した。
夫れも其の筈、七、八年逢はざりし東京の白勢吉之助君であった。
「まあ如何して・・・」と訊くと、「漸くのことで追い着いたのです」とばかりであった。
自分は君を池田君にも紹介して、語りながら靜かに歩を進めた。
君の來意はざつと斯うである。
君が久しく遠ざかっていた竹の道にかへりたい。
夫れには新たに譜點法を學ぶ要がある。
叉一方世間に暗い君は、親しく旅の苦楚を嘗めて、世上に充分触れて見たいと豫ねて様々に考へてゐられたところ、恰度自分が前年西に向って出たことを他事ながら聞かれた。
夫れが動機となって、自分を追うて當どもなく京都まで來たが、皆目手がゝりがない。
不圖明暗教會のことが胸に浮かんで東福寺に往って見た。
すると自分の免許状下附の願書に由つて自分の居所が判明した。其の時君は歓喜の情と不思議の念とに満たされて、眞の神の引き合せと感じたさうである。
さて判明はしたが、何しろ幾百里を隔つるので、更に勇気を鼓して直ぐ淀川を船で大阪の川口に出た。多少の旅費を工夫して即夜再び船に乗った。
瀬戸内海は極楽のやうに、玄界灘は地獄の如くに過ぎ、長崎で船を乗り換へ、肥後の三角に著いた。
夫れからに徒歩で晝夜兼行、熊本は草葉町にと辿り著いた。
折角居合せた山下氏に會うて見ると、尋ぬる入は早や發足の後であった。
既に路金の盡きた君は進退これ谷った。
幸ひ山下氏の厚意で、虚無僧の支度の一部を貰ひ受け、またも峻坂險路の幾十里かを急ぎに急いで漸く泣ひ著いたのであるさうな。
途中に於ける千辛萬苦は實に想像に餘りあるものがあった。
其の日は非常な疲労で、人吉には達し兼ね、一里ほど手前の温泉宿に夜の八時過ぎに泊ることにした。
湯も食事も濟んでから白勢君の来意に就て自分は次のやうに言った。
「君の御旨意は途中で承はってよく解かりましたが、然し此無銭旅行は的にもならぬ軒下に佇って一厘二厘と貰ひながらのことゆゑ、前途の難渋は實に思ひやらるゝ。
夫れに一人増せば増すに連れて統率の上にも困難を加へる。
近々又中山と云ふ者も追ひかけて来る手筈になってゐる。
夫れ故君の一行に加はることは、情に於ては満足するが、右の次第が案じられる。
且又君には自分が上京の常時、暫時なりとも竹の研究に就て贄を執った經歴もあり旁々御来意に副ふことを大いに躊躇する次第である」と君に語るかのやうに言うた。
そこで君は言葉を改めて「貴下を慕うて来た以上貴下を兄とも師匠とも思うてのことゆゑ其の御心配は必らず御無用・・・」と赤誠面に溢れて見えた。
そこで自分は、兩君に向って、明確に次の如に言った。
「夫れで白勢君の意志は十分に判りました。
就ては案内に關する枝葉の事柄は、經験ある池田君の方寸に俟つとして、一行全體の進退秩序に關しては一切根柢から自分の指揮に服従して貰はねばならぬことを前以て御承知を願ひたい。
差當り飲まぬ自分が言ふことは甚だ心苦しい次第ではあるが、酒は兎角心を亂すものゆゑ、自分が許さぬ限り兩君とも禁酒を願ひたい」と、将来竹界に酒豪の高名を唄はれた兩君にちやんと釘を打った。
すると兩君は異口同音に「夫れは無論のことですと答へた。」
(演者曰く、兩君の「無論のことです」は「無諭夫れは辛いことです」のことであったらう。自分も随分人が悪かった。呵々)
茲に於て遂ひに白勢君を一行に加へることを諾した。
今までは二人淋しく知らぬ旅路を彷徨して心細くも感じたが、急に舊知己の来り加はつた為めに、旅は非常に面白くなつて来た。
翌早朝其處を出立して、人吉の市街に這入った。

(担当者注)
九州路に入る以下一編として続きますが長文のため適宜分割、副題を付けました。
独断の副題です。ご了承下さい。

九州路に入る全終了

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